井上由美子 [エッセイスト]
歳を重ねてからの生きかたは、それぞれの人生が反映する。
見栄や縛りから解放されることも老後の特権。さあ、どう生きる。
〈飾らない自分〉に出会いながら、〈最期の人生〉を生きる
ストーリー
ドイツのドキュメンタリー映画。まさしく実話そのものだ。もちろん、ドキュメンタリーであっても、創り手の思想と表現の産物だ。
そしてこの映画、創り手が主人公夫妻の息子(とその仲間)で、息子も映画の重要な登場人物となる、「丸ごとドキュメンタリー」と言えよう。
認知症になった母を父に代わって介護するために、息子がフランクフルト近郊の実家へ帰ってくるところから映画は始まる。息子には母のケアと同時に、仲間と共にドキュメンタリー映画を制作するという目的があった。
映画の中で、父母の出生のこと、家族構成、若き日の生き方、人生の変転などが、時折挿入される写真を交えながら語られる。
若い頃の母の写真、毅然としたインテリジェンスに溢れ、その容姿の何と美しいことか。もちろん仕事人でもある。
夫である父は、教員としては最後にフランクフルト大学教授となり、定年退職後は、研究者としての道を究めようとしていた。ダンディかつ学者らしい面影は歳をとってからも十分に際立っている。
この羨ましいほどの美男美女のカップル、さぞや幸せだったろうと下世話な私など想像してしまうが、これが実は、時代のうねりの中で、夫婦の人生は大きく左右されることになる。
「われらが時代」の顛末
私は、団塊の世代のはしりに位置する。正確に言えば、1946年3月生まれ。世の父親たちが最後の兵役についていた時代の所為(せい)で、最も人口が少ない世代だ。
長崎・広島に原爆が落ちたのが8月。その頃、胎内4か月だったので、敗戦の色が濃い時代によくも子づくりができたものだと、かねがね思っていた。
ところが、本年度の邦画の傑作『この世界の片隅に』では、広島の隣の呉市に嫁入りした女性の、原爆が落ちる前後の日常が描かれているが、淡々と現実を受け入れつつ暮らす、人々の、逞(たくま)しさやつつましさが描かれていた。
私たち団塊世代は、ちょうど全共闘が中心となった70年安保闘争の時代が青春だった。70年安保闘争は、60年安保闘争とは違い、<ゲバルト(暴力)>に象徴されるように、武力闘争化していった。
東大闘争を経て、それはさらにエスカレートし、孤立した武闘派の一部は、浅間山荘事件や、連合赤軍事件、長年続いた内ゲバ抗争・・・などの悲惨な社会問題を生み出し、権力粉砕の全共闘世代に若干共感していた知識人たちからも見放されることとなってしまった。
この一連のプロセスは、日本において労働運動を含む左翼運動全体を沈滞化させる要因をつくったと言えなくはないだろう。
映画では
この映画の主人公夫妻の青春時代は、1964年前後、日本の60年安保と70年安保のちょうど中間の時代だ。そして、70年代の日本の若者には左翼闘争の残像の中で、ヒッピーや、フリーセックスの波が押し寄せてきていた。
この主人公夫妻はオープン・マリッジの先駆者だった。恐らくオープン・マリッジを容認しなければ保守のレッテルを貼られたのだろう。
認知症になった母は、その時代に、夫への嫉妬の感情を自らのプライドのために無理して封じ込めていたこと、そしてその後悔を、時折、夫と間違えて息子に語る。夫の側も自らの美しすぎる妻への見栄で、オープン・マリッジ宣言をしたのではないだろうか。
認知症は彼女を呪縛から解放した。そう、認知症は、人々を過去に向かわせると同時に、それによって過去から解放するのだ。
昔の美しさは失くしていても、身体つきは変化していても、お洒落はしていなくても、素の自分に還り、本当に愛する人へ屈託のない素直な気持ちをさらけ出す。
解放された妻、妻への言わば嫉妬から解放された夫、彼らが眺めるスイスの風景は、想像を絶する美しさだ。
私たち世代と、若干の差はあってもほぼ同時代を生きてきたドイツ人夫妻。精神的贅肉(ル・ぜいにく)を捨て去って解放へと導く<老い>。この、老いることに対し、恐れではなく期待感が湧いてくる。
アニメ映画『この世界の片隅に』(原作:こうの史代/監督:片渕須直/2016年11月公開開始)が表出させる、たおやかな人生を生きていこうと、思う。
*4月13日(木)、監督の来日決定。ドイツ文化センターにて、試写およびシンポジウムの予定
2013年/ドイツ/88分/カラー
監督:ダーヴィット・ジーヴェキング
原題:FORGET ME NOT
字幕翻訳:渋谷哲也
配給:ノーム
公式サイト http://www.gnome15.com/wasurenagusa/
●4月15日(土)渋谷ユーロスぺースほかにて、全国順次公開
(C)Lichtblick Media GmbH